11/27(土) 22:38配信
東スポWeb
力強く「ダァー!」をする猪木氏(ケンゾー提供)
〝燃える闘魂〟アントニオ猪木氏(78)の闘病生活に密着したドキュメンタリー番組「燃える闘魂 ラストスタンド〜アントニオ猪木 病床からのメッセージ〜」が27日にNHK・BSプレミアムで放送され、プロレスファンに大きな反響を呼んだ。
番組を手がけたのは共同テレビジョンのプロデューサーで猪木氏の弟子、KENSO(ケンゾー)こと鈴木健三氏。2002年2月の新日本プロレス札幌大会で猪木氏から新日本の現状を問われ、「僕には明るい未来が見えません!」と叫んだのは語り草だが、ケンゾーの熱意に押され猪木氏が密着取材を許したという。
番組の冒頭では、猪木氏の病名が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と明かされた。これはアミロイドという物質が心臓をはじめ全身にたまり、血液循環が悪くなる難病だという。18年に発症し、これまで「心アミロイドーシス」とされてきたが、今回の闘病生活で正式な病名が公表されたのは初めてのことだ。
さらにリハビリ風景も公開し、猪木氏は「本当はこういう映像は見せたくなかったんですけどね。これも一つの強いイメージばっかりじゃなくて、こんなにも〝もろい弱い〟。そういう一つの人間としてそういう場面があっても良かったのかなって」と密着取材を受けた意味を語った。
また、昨年12月28日に療養中の青森で腰に痛みを発して敗血症で緊急搬送されてから、闘病を続けており、それから入退院を繰り返していることも明らかになった。
番組ではベイダー戦やモハメド・アリ戦、ウィリー・ウィリアム戦などの激闘の歴史を、VTRと東京スポーツ新聞社提供の写真などで振り返りながら、弟子の馳浩氏、新日本・棚橋弘至、藤波辰爾、古舘伊知郎アナ、作家の村松友視氏、格闘家の青木真也ら関係者によって猪木氏のエピソードが語られた。
すべてをさらけ出した強烈な猪木イズムに、SNSでは「泣ける」「日本シリーズも熱いけど、猪木ドキュメンタリーが胸熱すぎる」「病の姿はショックですが、いつまでも燃える闘魂でいてください」「すげーなアントニオ猪木は」「古舘さんの『全身アントニオ猪木』が良かった」などの声が上がっていた。
闘病生活
【ねづっち】コロナ闘病 単身なら孤独死の恐怖 高熱が続き、妻の3度目の救急通報で入院
(出典 Youtube) |
9/3(金) 5:00
スポーツ報知
ねづっちが語るコロナ闘病 単身なら孤独*恐怖 高熱が続き、妻の3度目の救急通報で入院
新型コロナウイルス感染から復帰したねづっち
新型コロナウイルスに感染し療養中だったお笑い芸人・ねづっち(46)が2日、浅草・東洋館の漫才協会上席「漫才大行進」で復帰。約3週間ぶりに高座を務めた。終演後にスポーツ報知の取材に応じ、闘病生活を明かした。
ねづっちは、9日の北海道での落語会に出演し帰京。翌10日に発熱した。「朝起きた時の感覚がいつもと違った」。検温すると37度7分。「コロナじゃなきゃいいな」がその時の感想だった。昨年、コロナの感染が広まって以来、感染対策をして、健康には気をつけていた。体調に気を配り、1年半以上、風邪もひいていなかった。だが、熱は上がり38度台に。11日に自治体の発熱相談センターに連絡し、紹介された近所の病院に徒歩で向かった。PCR検査を受け、13日に陽性と判定された。
「その時の感想? “だよな”でした」。その時点で熱は下がらず、38度台から39度台を行き来していた。病院からは解熱剤の有無を問われたのみ。保健所から連絡があり「自宅療養」になった。幸い、せき込むことはなかったが高熱は続く。「熱を計って、『38度台ならいいや』って。そんな感覚でした。今思えば全然良くないんですが…」。自分では、頭ははっきりしていたと思っていたが、その時の記憶は曖昧だ。妻からは「40度台を超えた時もあった」と後から聞かされた。
妻と2人暮らし。部屋を分けて、ねづっちはほぼ寝室で生活した。解熱剤を飲むと少し熱が下がるが、またすぐに上がる。見かねた妻が119番通報。救急隊員が自宅にやってきて、色々と連絡を取るが受け入れ先は見つからない。それを繰り返した。「救急隊員の人がずっと家にいるんです。申し訳なくって。3回目は『また呼ぶの?』って言ってしまった」。3度目の119番は20日だった。ようやく入院先が決まり、救急搬送された。
その後は点滴治療などで状態も回復。「点滴など(腕に)色々管がすごい付いていました」。治療の効果もあり、発熱し11日後には熱が下がった。27日に退院。「体力が落ちて、電車に乗っても意外に疲れるなと…」体重は5キロ減っていた。その後は2日間、処方された薬を飲みきり、近所を散歩するなどして、体力アップに努めた。ようやく2日から仕事復帰した。
ねづっちにとって闘病生活はどうだったのか。「インフルエンザになったこともありますが、10日以上も高熱が続くことはない。ちょっと違いますよ。普通じゃない」。感染経路も分からない。「お酒も家でしか飲んでいないし、職場と家の往復だけ。(北海道公演も)出演者全員、抗原検査を受けて陰性証明を出して行っていた」。
“整います”で次々となぞかけを披露してきたねづっち。「11日間、熱があって、どこか頭がおかしくなっているんじゃないかと…。本当に“整わない”かもしれない。そういう日が来るかも知れない」。不安と怖さもあったが、3週間ぶり15分の高座は楽しかった。「やっぱりうれしいです。お客様の前でネタが出来るのは一番幸せです」。
味覚障害など後遺症はなく、復帰出来た。妻のお陰だ。「本当によくしてくれた。いなかったら無理でした。無残ですよ。おじさん一人で寝ているだけだから」。意識ももうろうとして、38度台で安堵(あんど)するような状態。「(救急車を呼ぶのも)一人だったらしない。全部やってくれた。ありがたいです。困っちゃいますよ孤独死してたら。妻のお陰です。元々頭が上がらないですけれど…」。
高座では観客のリクエストで「コロナ陽性」でなぞかけを披露したが、闘病を経験し、慎重に思う自分もいる。「症状もみなさん違いますから。ボクは肺は何ともなかった。ラッキーでした」。
妻をお題になぞかけをお願いすると、“整いました”とねづっちの声が響いた。「妻とかけまして、役人の家と解く。その心は…。そこにカンシャ(官舎・感謝)があるでしょう」。
高座では鬼嫁エピソードで笑いを取っているが、実際の妻は? 「本当にありがたい。ボクにとっては女神だったんですから…」。
【ワッキー】過酷がん闘病生活を激白 首に2カ所転移「実は、早期発見ではなかった」
(出典 thetv.jp) |
中咽頭がんから復帰したお笑いコンビ「ペナルティ」のワッキー(48)が、スポニチ本紙に過酷な闘病生活を激白した。「ステージ1」と公表していたが、首に2カ所転移していたことを告白。体重は10キロ弱減り、放射線化学療法も体に合わず苦しんだという。昨年4月に発覚してから約10カ月に及んだ療養を経て、現在は「体を張る仕事も大丈夫」と意欲満々。得意の新作一発ギャグを元気いっぱいに披露してくれた。
「不安でしたね。自分の復帰のメドも立たず、ましてコロナ下。戻っても仕事があるのか、家族を食わせていくことができるのか、気がおかしくなるくらい不安な日々でした」
昨年6月に中咽頭がんを公表。闘病は長期化した。「実は、早期発見ではなかったんです。中咽頭から首2カ所に転移していた」。
ワッキーのがんはウイルス性だった。ウイルス性は放射線化学療法による効果が大きいという特徴があり「放射線の効き目を考慮してステージ1と診断されたが“普通ならステージ3~4”と言われた」と話す。
2カ月の入院生活。食べ物を喉に通せないため、胃に管を通し栄養を注入する「胃ろう」を取り付けた。放射線治療も合わず、ひどい吐き気が長く続いた。その影響で「10キロ弱はやせました」。
昨年8月に退院するが「その後の方がきつかった」という。喉の痛みに苦しみ、「へんとうを腫らした時を強くした感じ」。唾液が減って口がカラカラになる症状もみられた。それらが芸人の命といえる声に影響した。「声を出しづらくなり、それは今でも少し残っています」。
それでも、入院中はコロナ禍で会えなかった家族や、相方のヒデ(49)の応援が回復の支えになった。「ヒデさんが“待ってるから。大丈夫だから”と常に言ってくれた」。14日にYouTubeで公開した復帰動画で、ヒデは再会に涙した。ワッキーは「ヒデさんは昭和な男気があり、人前で泣く人じゃないんです。もらい泣きしちゃいました」としみじみと話した。
以前を100とすれば、今は「アキラ100%ならぬ、ワッキー85%くらい」という。ただ体重もほぼ元に戻り、体を張る芸も辞さない。明石家さんま(65)司会のフジテレビ「さんまのお笑い向上委員会」は心身とも最も負担がかかるといい「あの番組だけは90%くらいになってからにしたいですが、あとは何でもこい」と復調をアピールした。
この日は「作ったばかり」というギャグを見せてくれた。「鬼滅の刃」をモチーフに大声で「森の呼吸、進、一ノ型!こんばんは、こんばんは」と刀を振るしぐさ。顔は歌手の森進一(73)を思わせる“変顔”。もう完全復活だ。
今後は「大勢のお客さんの前で、コンビで最高に面白いネタをするというのが目先の夢です」という。「闘病中に一番やりたかったこと。コロナの収束も含め、またそういう世の中になってほしい。*ではいないですが、よみがえったワッキーというのを全力で出していきたい」と意欲を燃やした。
《敬愛する志村さんの分まで》昨年3月に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさんの死には「本当に無念です」と話した。「芸風もしかりですが、人生で一番影響を受けた方」といい、訃報を知った日にすぐ西武鉄道・東村山駅前の3本のケヤキ「志村けんの木」に献花に訪れた。自身のがんが見つかったのは、わずか数日後。「まさか献花の時は、自分も大きい病気をするなんて思っていなかった」。回復した今、志村さんの分まで笑いをとる。
▽中咽頭がん 鼻の奥から食道までの飲食物と空気が通る咽頭の中ほどにできるがん。自覚症状は喉のしこり、食べ物などをのみ込む際の違和感、リンパ節の腫れなどがあるが、初期段階ではいずれも気がつきにくいという。原因としては、喫煙や飲酒などが挙げられる。治療には主に外科的手術、抗がん剤などの化学療法、放射線療法があるが、発見が早かった場合には放射線治療が行われる。進行している場合には、声帯を切除しなければならないこともある。 ◆ワッキー(わっきー、本名脇田寧人=わきた・やすひと)1972年(昭47)7月5日生まれ、北海道出身の48歳。ボケ担当。市船橋高サッカー部在籍時にインターハイで全国制覇。その後専大に進学。94年、サッカー部の先輩だったヒデと「ペナルティ」結成。芝刈り機のモノマネなどでブレークした。07年に一般人女性と結婚し、2児の父。趣味は麻雀、けん玉など。身長1メートル78。血液型B。
2021年2月17日 5時0分
スポニチアネックス