(出典 thetv.jp) |
中咽頭がんから復帰したお笑いコンビ「ペナルティ」のワッキー(48)が、スポニチ本紙に過酷な闘病生活を激白した。「ステージ1」と公表していたが、首に2カ所転移していたことを告白。体重は10キロ弱減り、放射線化学療法も体に合わず苦しんだという。昨年4月に発覚してから約10カ月に及んだ療養を経て、現在は「体を張る仕事も大丈夫」と意欲満々。得意の新作一発ギャグを元気いっぱいに披露してくれた。
「不安でしたね。自分の復帰のメドも立たず、ましてコロナ下。戻っても仕事があるのか、家族を食わせていくことができるのか、気がおかしくなるくらい不安な日々でした」
昨年6月に中咽頭がんを公表。闘病は長期化した。「実は、早期発見ではなかったんです。中咽頭から首2カ所に転移していた」。
ワッキーのがんはウイルス性だった。ウイルス性は放射線化学療法による効果が大きいという特徴があり「放射線の効き目を考慮してステージ1と診断されたが“普通ならステージ3~4”と言われた」と話す。
2カ月の入院生活。食べ物を喉に通せないため、胃に管を通し栄養を注入する「胃ろう」を取り付けた。放射線治療も合わず、ひどい吐き気が長く続いた。その影響で「10キロ弱はやせました」。
昨年8月に退院するが「その後の方がきつかった」という。喉の痛みに苦しみ、「へんとうを腫らした時を強くした感じ」。唾液が減って口がカラカラになる症状もみられた。それらが芸人の命といえる声に影響した。「声を出しづらくなり、それは今でも少し残っています」。
それでも、入院中はコロナ禍で会えなかった家族や、相方のヒデ(49)の応援が回復の支えになった。「ヒデさんが“待ってるから。大丈夫だから”と常に言ってくれた」。14日にYouTubeで公開した復帰動画で、ヒデは再会に涙した。ワッキーは「ヒデさんは昭和な男気があり、人前で泣く人じゃないんです。もらい泣きしちゃいました」としみじみと話した。
以前を100とすれば、今は「アキラ100%ならぬ、ワッキー85%くらい」という。ただ体重もほぼ元に戻り、体を張る芸も辞さない。明石家さんま(65)司会のフジテレビ「さんまのお笑い向上委員会」は心身とも最も負担がかかるといい「あの番組だけは90%くらいになってからにしたいですが、あとは何でもこい」と復調をアピールした。
この日は「作ったばかり」というギャグを見せてくれた。「鬼滅の刃」をモチーフに大声で「森の呼吸、進、一ノ型!こんばんは、こんばんは」と刀を振るしぐさ。顔は歌手の森進一(73)を思わせる“変顔”。もう完全復活だ。
今後は「大勢のお客さんの前で、コンビで最高に面白いネタをするというのが目先の夢です」という。「闘病中に一番やりたかったこと。コロナの収束も含め、またそういう世の中になってほしい。*ではいないですが、よみがえったワッキーというのを全力で出していきたい」と意欲を燃やした。
《敬愛する志村さんの分まで》昨年3月に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさんの死には「本当に無念です」と話した。「芸風もしかりですが、人生で一番影響を受けた方」といい、訃報を知った日にすぐ西武鉄道・東村山駅前の3本のケヤキ「志村けんの木」に献花に訪れた。自身のがんが見つかったのは、わずか数日後。「まさか献花の時は、自分も大きい病気をするなんて思っていなかった」。回復した今、志村さんの分まで笑いをとる。
▽中咽頭がん 鼻の奥から食道までの飲食物と空気が通る咽頭の中ほどにできるがん。自覚症状は喉のしこり、食べ物などをのみ込む際の違和感、リンパ節の腫れなどがあるが、初期段階ではいずれも気がつきにくいという。原因としては、喫煙や飲酒などが挙げられる。治療には主に外科的手術、抗がん剤などの化学療法、放射線療法があるが、発見が早かった場合には放射線治療が行われる。進行している場合には、声帯を切除しなければならないこともある。 ◆ワッキー(わっきー、本名脇田寧人=わきた・やすひと)1972年(昭47)7月5日生まれ、北海道出身の48歳。ボケ担当。市船橋高サッカー部在籍時にインターハイで全国制覇。その後専大に進学。94年、サッカー部の先輩だったヒデと「ペナルティ」結成。芝刈り機のモノマネなどでブレークした。07年に一般人女性と結婚し、2児の父。趣味は麻雀、けん玉など。身長1メートル78。血液型B。
2021年2月17日 5時0分
スポニチアネックス