「’01年のデビュー戦で一日3試合したのはさすがにしんどかった。自分は大食い番組に出るのが初めてで比較するものがないんで気づきませんでしたが、今思えば、ド素人が一日3試合するなんてムチャだったなと思います。当時はそれが当たり前だと思っていたので、しんどいなって思いながらも食べていましたね」
そう語るのは、かつて平成の大食いブームでレジェンドと言われたジャイアント白田(42)だ。引退から早15年、熱狂する大食いブームが落ち着いた今だから話せるウラ側を白田が語った。
中略
「僕は、自己流でトレーニングをしていました。食べ放題に行って限界までお腹いっぱいにするんです。当時現役だった他のフードファイターもアスリートのような感覚で胃を拡張する訓練をしていました。やり方はいろいろありますが、結局限界まで食べて胃を広げていく方法が一番早い。同業の小林尊(たける)くん(43)は水を10ℓ飲んで、胃袋を広げ、1ヵ月ぐらいで胃の容量を限界まで大きくしてました」
当時、過酷な大食いトレーニングを続ける者が多かったが、日本のフードファイターには華奢(きゃしゃ)な体型の人が多い。
「大食い業界では、太りすぎると腹部の脂肪が伸びにくいからたくさん食べられない、なんて言われていました。
日本人の胃袋の平均容量は約1.8㎏。大食いで目立とうと思ったら、最低でも8㎏ほどの容量は欲しいですね。僕の場合、一番多く食べた時は12.5㎏の食べ物を胃袋の中におさめていました」
普通では考えられない量を食べていた平成のフードファイター。本当に驚くのは食事後の身体の変化だ。
「胃袋が広がると小腸が圧迫されて、後ろのほうに追いやられるんです。外から見ると、背骨の横のところ、肋骨の下ぐらいがポコッと膨らむ感じですね。僕らの業界だとあるあるです(笑)。
あと、番組で大食いしてる時って基本的に座っていることが多いんですが、60分で10㎏ぐらい食べて立ち上がろうとするとフラつくんです。大量の食べ物を食べるうちに身体の軸がずれて、バランスを崩すんですよね。胃の容量が8㎏を超えるような、ストイックなフードファイターにしかわからない感覚だと思います」
大食いを表す単位として、「キログラム」が使われることが多いが、食べる側にとっての過酷さは数字で表せるものではない。
「意外だと思うんですが、卵料理が本当にきつい。デビュー戦の2回戦で温泉卵を60個超食べたら、とんでもないぐらい気持ち悪くて吐き気を催しました。満腹とかではなく、卵の臭いとか、黄身のコクとかが食べるにつれて不快感に変わったんです。その後の大食いでも卵料理を食べるのがトラウマになるほどでした。
他にも熱いラーメンを食べすぎて、熱中症のような状態になる人がいたり、僕自身は冷たいものを食べすぎて身体の震えが止まらなくなったことも。量だけでは測れない過酷さがあります」
そんな過酷な挑戦の中でも、モチベーションを保てたのはライバルがいるという緊張感があったからだという。
「昔は真剣勝負で食べる量を競う番組ばかりでしたが、気づけばそういった番組もなくなり、周りを見渡した時に、強敵がいなくなっていたんです。トレーニング期間中って、一人で黙々と食べて、胃を広げていく孤独の中にいて、かなりメンタルがやられるんです。ライバルがいないとなかなか続かないですよね。
今でも復活のオファーを頂くことがありますが、もう8㎏ちょいまでしか胃袋の容量を戻せない。そんなレベルで復帰なんて、恥をさらすだけですよ」
全文はソースをご覧ください
自らが経営する串カツ屋『しろたや』にて
舞台裏
【日テレ アイヌ差別問題】「あ、犬」女ディレクター作成の台本・台詞でした 芸人に責任転嫁し隠蔽していたか
(出典 i.smalljoys.me) |
※テレビの話題を超えたアイヌ民族差別問題スレ
3月12日に放送された日テレの情報番組『スッキリ』で、アイヌ民族を傷つける表現が放映されたことが、局内外で大騒動となっている。
アイヌの女性を取り上げたドキュメンタリー作品の紹介を受け、芸人の脳みそ夫が「この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬」と発言したのだ。
放送直後から局にはクレームが殺到し、政府からも厳重な抗議が来るほどに事態は発展した。脳みそ夫も「勉強不足を痛感」とSNSに直筆文書を公開して謝罪した。
一連の流れを受けて、日テレに不信感を抱く番組関係者は多い。
「実は、問題となった台詞はすべて、番組の担当ディレクターの女性が考えました。最近までADだった番組制作会社の若手です。
台本の中身を見た脳みそ夫は懸念を示していたので、彼女は収録前に社員のAプロデューサーに連絡をして判断を仰ぎました。しかし、A氏は何の対応も取らなかった。結果的に脳みそ夫だけが叩かれてしまった。いまも局は『差別発言』に台本があったことを隠し続けています」(同)
A氏に差別発言の「舞台裏」について聞くも「お話しできません」の一点張り。脳みそ夫の所属事務所「タイタン」は「こうした対応は日本テレビさんが引き受けてくれると、申し出を頂いております」と答えた。
当の日テレ広報部は取材にこう回答した。
「演出については、制作担当者と出演者の間で話し合いながら最終的な内容を決めていきます。最終的な放送責任はすべて日本テレビにあります」
その「話し合い」の内容を詳らかにしなければ、事態は収束しないだろう。
【森七菜】事務所社長の死とステージママ
1/16(土) 5:15配信
東スポWeb
大ブレーク中の森七菜
NHKの朝ドラ「エール」、TBS系「この恋あたためますか」などで好演し、今最も旬な若手女優・森七菜(19)に、突然の移籍話が持ち上がった。森は突然インスタグラムを閉鎖し、所属事務所のホームページからも削除されファンが騒然となった。「引退?」「活動休止か」などさまざまな憶測が流れたが、取材を進めると大手事務所「ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)」へ移籍することが判明。その裏には森を発掘した所属事務所社長の死と、〝ななママ〟と呼ばれる母親の存在が…。
【写真】森七菜 美しすぎるセーラー服姿
新進気鋭の人気女優にいったい何が起こったのか? 森が突然〝抹消〟されたことに多くのファンや関係者が気を揉んだが、ふたを開けてみると所属事務所「ARBRE(アーブル)」からSMAへの移籍だった。
大分出身の森は2016年、映画や音楽などを手掛けていた敏腕プロデューサーのK氏に発掘されてARBRE所属で芸能界デビューした。19年には菅田将暉主演のドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」(日本テレビ系)に出演したほか、新海誠監督のアニメ映画「天気の子」では、2000人のオーディション参加者の中からヒロインの声優に抜擢され、一躍注目の若手女優となった。
飛ぶ鳥を落とす勢いの森だが、19年1月、所属事務所の社長で恩人のK氏が突然、病気のため他界してしまう。森が出演し主題歌も任された映画「ラストレター」(昨年1月公開、岩井俊二監督)に関わった映画関係者が明*。
「Kさんは女優を育てるタイプではなく、どちらかというとプロデューサー気質な人でした。大柄でいかにも業界人という風貌でかなりのヤリ手。Kさんが亡くなってから半年ぐらいは、Kさんの側近だった人がARBREにいましたが、気づけばその人もいなくなった。今はほとんど機能していなかったのでは」
芸能界入りの恩人を失った森だが、昨年も「この恋あたためますか」で初主演を務めれば、NHKの連続テレビ小説「エール」にも出演するなど、女優としてブレーク。
さらに自身が出演するCMで歌ったホフディランのカバー曲「スマイル」も人気となり、マルチな才能が開花した。
そんな中、持ち上がった今回のSMAへの移籍話。当然、これほどの逸材を大手事務所が放っておくわけはないが、実は移籍のウラには母親の存在もあったという。
「所属事務所のARBREは小さいとこで、かねて引き抜きの裏工作が飛び交っていたという噂があった。ただ、今回の移籍話には〝ななママ〟と呼ばれるお母さんの存在があったのは間違いない。2人の信頼関係は強固で、森は何でも母親に話していた」(芸能関係者)
森の母親もまた、亡くなったK氏とはひと味違う敏腕で、なかなか声がかからないオーディションを次々に持ってきては、森に受けさせていたという。
前出の芸能関係者は「『天気の子』のヒロイン抜擢にはゴリ押し説もあったけど、あれはウソ。〝ななママ〟の絶妙な仕事選びのたまもの」と明*。そんな〝ななママ〟の威厳を感じさせるエピソードもある。
森がヒロイン役で主演した「この恋あたためますか」での出来事。「制作サイドは森の入浴シーンを入れたかったが、事務所サイドから『母親からきつくダメと言われているので…』とNGを出されて、結局、足湯だけのシーンになった」(TBS関係者)
これまでは小さな事務所にいたことでギャラも安かった森。今後は二階堂ふみ(25)や土屋太鳳(25)らも所属する大手事務所のタレントとして羽ばたくことになるが、新天地に移っても、敏腕の〝ななママ〟が目を光らせているなら安泰と言えそうだ。
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/68d31f70a08eb86ed870168e1275b60f527d0f55