(出典 i.gzn.jp)

ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している


NO.9271993 2021/02/21 15:05
ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している
ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している
世界中の子供たちに長く愛読されている漫画『ドラえもん』。

漫画の中では、たびたび原っぱで遊ぶ、のび太やドラえもんの姿が描写されています。

その原っぱには「土管」が置かれていますが、実は日本のトイレの歴史と深い関わりがあります。

ジャーナリストの神舘和典氏と文藝春秋の前副社長で編集者の西川清史氏が、あらゆる疑問を徹底取材したルポ、『うんちの行方』から抜粋・再構成して紹介します。

戦後、下水・汚水処理場が次々とでき、砂町汚水処分場のような屎尿(しにょう)を処理する設備も整った。

それでも、高度経済成長期の東京の人口は増え続け、当然排泄も増え続ける。

汲み取りトイレもまだ多く、砂町汚水処分場だけでは処理できない量だった。


いまでこそ日本の水洗トイレ率(汚水処理人口普及率)は91.7%、東京は99.8%。

しかし、1970年代は東京23区内ですら、鼻をつまみたくなるようなにおいが充満する汲み取りトイレの家庭は多かった。

練馬区でボットン便所が長く続いた理由またしても私事で恐縮だが、筆者(神舘)が生まれ育った東京・練馬区の石神井の家はボットン便所だったし、杉並区の阿佐谷にある公立高校に進学したら、そこもボットン便所だった。

家でもボットン。

学校でもボットン。


入学式の日にとても悲しい気持ちになった。

高校について厳密にいうと、母屋というべき鉄筋コンクリートの校舎は水洗トイレ。

ところが、1年生にあてがわれていた教室は木造2階建ての離れで、そちらはボットンだったのだ。

練馬区あたりでなぜボットンが長く続いていたのか――。

その理由の..

【日時】2021年02月20日 17:00
【ソース】東洋経済オンライン
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