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ポニーテール


(出典 mi-mollet.com)
【芸能】花田美恵子がMiekoとして活動を開始 愛犬との撮影に「ポニーテールも可愛い」「素敵です」の声


1 湛然 ★ :2021/05/30(日) 05:42:57.45

花田美恵子がMiekoとして活動を開始 愛犬との撮影に「ポニーテールも可愛い」「素敵です」の声
[ 2021年5月29日 13:01 ]スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/05/29/kiji/20210529s00041000312000c.html
Miekoインスタグラム(@hawaiimieko)より

(出典 www.sponichi.co.jp)



 「花田」姓からの卒業を発表していたヨガ・インストラクターでタレントの花田美恵子(52)が29日までに自身のインスタグラムを更新。「Mieko」として活動を開始したことを報告した。

 21日の投稿で、「『花田』を卒業する事にしました」と報告しメッセージの最後には「Mieko」と記していた花田。「Miekoになって最初のお仕事はカイくんと一緒の楽しい撮影でした」とMiekoとして始動したことを明*と、ポニーテールにベージュのトップス、白のパンツ、スニーカー姿で愛犬を引き連れて撮影を行う様子をアップ。「ワンコ好きの方に囲まれて 終始ご機嫌で 出番が終わっても 『まだ、帰りたくない~』って駄々をこねるところも可愛い 皆様、今日は朝から有難うございました」とつづった。撮影の内容についてはハッシュタグで「情報公開まで暫くお待ちください」とした。

 Miekoは1994年6月に大相撲の元横綱・花田虎上氏(50)と結婚。96年に長男、97年に長女、98年に次女、2001年に三女を出産するも、虎上氏とは07年10月に離婚。離婚後も花田姓を名乗り、09年から4人の子どもとともに米国・ハワイに移住。15年にはヨガ・インストラクターの資格を取得。18年12月、13歳年下の男性との再婚を発表していた。

 愛犬との楽しそうな撮影の様子にフォロワーからは「カイくん可愛い~美恵子さん素敵です」「美恵子さんはお綺麗(きれい)」「美恵子さん髪の毛伸びましたね!ポニーテールも可愛い カイくんも楽しかったんですね」「美恵子さんの前髪可愛い カイ君も相変わらずキュートだわ」「癒されますね」などといった絶賛の声が寄せられている。

(おわり)



(出典 i.ytimg.com)

【芸能】斉藤由貴「いじめられっ子だったから続けてこられた」35年、『スケバン刑事』はやりたくなかった

1 爆笑ゴリラ ★ :2021/02/19(金) 11:10:51.51 ID:CAP_USER9.net

2/19(金) 8:40
オリコン

斉藤由貴「いじめられっ子だったから続けてこられた」35年、『スケバン刑事』はやりたくなかった
今年デビュー35周年を迎える斉藤由貴(撮影=逢坂聡)(C)oricon ME inc.
 今年でデビュー35周年を迎える斉藤由貴。21日には、1stシングル「卒業」から10thシングル「さよなら」まで全10曲をリアレンジで収録したセルフカバーアルバム『水響曲』をリリースする。セーラー服とポニーテールが似合う清純派アイドルとしてデビュー年にたちまちブレイク、その後も歌手、女優、執筆など幅広く活動し続けてきた。同期アイドルの多くが結婚を機に芸能界を引退していく中、「実生活では周囲に馴染めなかった」と振り返る彼女が芸能界で生き続けてきた理由とは。

■訳も分からず家に帰って泣いていたアイドル時代、それでも「辛いと思ったことはない」

──35年前のご自身の曲を改めてレコーディングしてみていかがでしたか?

【斉藤由貴】本作のプロデューサーである武部聡志さんは「由貴ちゃんのボーカルは究極の不安定だよね」とおっしゃっていますが、歌手を自称するのもおこがましいほど、私には歌の技量がないんです。それは当時も今も変わらず。武部さんはデビューから11作連続でシングルの編曲を手がけてくださったのですが、おそらく「僕がきちんと形にしないと」という気持ちに駆られたところもあったと思うんですね。本作も「僕がやらなければ誰がやる」と、武部さんの素晴らしいリアレンジに守られて歌うことができました。

――それぞれの曲がリズムから声色、曲調まで、デビュー時とはまた違った印象でした。

【斉藤由貴】『スケバン刑事』の主題歌「白い炎」も、今の私を投影した今の「白い炎」にアレンジしていただきました。終盤に収録されている「MAY」と「さよなら」は、涙ぐんで歌えなくなってしまうほど、いろんな思いが溢れてきました。最初から最後まで聞いていただくと、どんどん感情移入していくのがわかっていただけるかもしれません。

──浮遊感のある心地よい歌声は当時のままです。歌手デビューした85年にはシングル4枚、アルバム1枚というハイペースなリリースをされていましたよね。

【斉藤由貴】デビュー当時のことはあまり憶えていないんです。何しろほんの少し前まで普通の高校生でしたから、自分が置かれた状況もわからず。周りはものすごい勢いで回っているけれど、その真ん中の台風の目の中にいた私は、どこかぼんやりと冷静なところがありましたね。

──それでも多忙さは感じていたのでは?

【斉藤由貴】辛いと思ったことはなかったんです。投げ込まれるボールを打ち返すのに無我夢中で。ただ、家に帰って1人になると涙が溢れてきましたね。自分でもなぜ泣いているのか、よくわからなかったんですけれど。

──80年代のアイドルは「イメージを作って売る」ところがありましたが、斉藤さんはどうだったのでしょうか?

【斉藤由貴】私は周りの方々に恵まれていて、何かしらの偶像に押し込められることはなかったんですね。むしろ私という人間を見極めて、閉鎖的な側面をディレクターさんやマネージャーさんが早いうちから感じて、その世界観を表現していくという発想ありきで作品を用意してくださっていたので、その点では“やらされている”という違和感や息苦しさを感じたことはありませんでした。


(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e0811819142d34747204b5d0383d3cc239262cc


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