2021-10-13
ゲーム実況界に彗星の如く現れ、視聴者を爆笑の渦に巻き込んでいる狩野英孝。配信するたびに起こす珍プレイや天性のリアクション芸から繰り出される名言の数々は、“伝説”と呼ばれているほど。現在のYouTube登録者数は118万を超えるが、2019年の開設当初は何をやっても再生数が伸びなかったという。
「へたくそだからゲーム実況やりたくなかった」と言いながらも、そのゲーム実況でいまや絶大な人気を得ているところはいかにも狩野らしい。芸人、歌手、神職など多くの顔を持つ彼が、さらに“人気ゲーム実況者”の仲間入りしたことで至った境地を聞いた。
ピン芸人としての力が生きたゲーム実況「街ブラロケに近い感覚」
──昨年2月にゲーム実況を始められるまで、狩野さんがゲーム好きだとは知りませんでした。
狩野英孝 そうですよね、あまり表では言ってこなかったので。ただゲームは子どもの頃からずっと好きで、大人になってからも1人でゲームショーに行ったりしていて。でもYouTubeを始めてしばらくは、ゲーム実況をやろうとは思わなかったんですよね。
──それはなぜですか?
狩野英孝 センスがゼロなんです(苦笑)。こないだもサンドウィッチマンの富澤さんの6歳の息子さんとApex Ledgends(エーペックスレジェンズ)をやったんですけど、僕より全然うまくて。ゲーム実況ってやっぱり、みなさんスゴ技とか神業が見たいでしょうし、僕なんかがやってもなぁと思ってたんです。
──逆にその“下手さ”が、今やゲーム実況界隈でも唯一無二の存在を放っています。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
やりたくなかった
【斉藤由貴】「いじめられっ子だったから続けてこられた」35年、『スケバン刑事』はやりたくなかった
(出典 i.ytimg.com) |
2/19(金) 8:40
オリコン
斉藤由貴「いじめられっ子だったから続けてこられた」35年、『スケバン刑事』はやりたくなかった
今年デビュー35周年を迎える斉藤由貴(撮影=逢坂聡)(C)oricon ME inc.
今年でデビュー35周年を迎える斉藤由貴。21日には、1stシングル「卒業」から10thシングル「さよなら」まで全10曲をリアレンジで収録したセルフカバーアルバム『水響曲』をリリースする。セーラー服とポニーテールが似合う清純派アイドルとしてデビュー年にたちまちブレイク、その後も歌手、女優、執筆など幅広く活動し続けてきた。同期アイドルの多くが結婚を機に芸能界を引退していく中、「実生活では周囲に馴染めなかった」と振り返る彼女が芸能界で生き続けてきた理由とは。
■訳も分からず家に帰って泣いていたアイドル時代、それでも「辛いと思ったことはない」
──35年前のご自身の曲を改めてレコーディングしてみていかがでしたか?
【斉藤由貴】本作のプロデューサーである武部聡志さんは「由貴ちゃんのボーカルは究極の不安定だよね」とおっしゃっていますが、歌手を自称するのもおこがましいほど、私には歌の技量がないんです。それは当時も今も変わらず。武部さんはデビューから11作連続でシングルの編曲を手がけてくださったのですが、おそらく「僕がきちんと形にしないと」という気持ちに駆られたところもあったと思うんですね。本作も「僕がやらなければ誰がやる」と、武部さんの素晴らしいリアレンジに守られて歌うことができました。
――それぞれの曲がリズムから声色、曲調まで、デビュー時とはまた違った印象でした。
【斉藤由貴】『スケバン刑事』の主題歌「白い炎」も、今の私を投影した今の「白い炎」にアレンジしていただきました。終盤に収録されている「MAY」と「さよなら」は、涙ぐんで歌えなくなってしまうほど、いろんな思いが溢れてきました。最初から最後まで聞いていただくと、どんどん感情移入していくのがわかっていただけるかもしれません。
──浮遊感のある心地よい歌声は当時のままです。歌手デビューした85年にはシングル4枚、アルバム1枚というハイペースなリリースをされていましたよね。
【斉藤由貴】デビュー当時のことはあまり憶えていないんです。何しろほんの少し前まで普通の高校生でしたから、自分が置かれた状況もわからず。周りはものすごい勢いで回っているけれど、その真ん中の台風の目の中にいた私は、どこかぼんやりと冷静なところがありましたね。
──それでも多忙さは感じていたのでは?
【斉藤由貴】辛いと思ったことはなかったんです。投げ込まれるボールを打ち返すのに無我夢中で。ただ、家に帰って1人になると涙が溢れてきましたね。自分でもなぜ泣いているのか、よくわからなかったんですけれど。
──80年代のアイドルは「イメージを作って売る」ところがありましたが、斉藤さんはどうだったのでしょうか?
【斉藤由貴】私は周りの方々に恵まれていて、何かしらの偶像に押し込められることはなかったんですね。むしろ私という人間を見極めて、閉鎖的な側面をディレクターさんやマネージャーさんが早いうちから感じて、その世界観を表現していくという発想ありきで作品を用意してくださっていたので、その点では“やらされている”という違和感や息苦しさを感じたことはありませんでした。