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雑学


(出典 news.walkerplus.com)
【悲報】坂本龍馬さん、教科書から削除される 学者「偉業の95%は司馬遼太郎の創作、西郷隆盛の”パシリ”でしかない」


1 名無し募集中。。。 :2021/06/02(水) 21:48:31.48

坂本龍馬は教科書に必要か 大政奉還や薩長同盟、史実は

 高校の歴史教科書から「坂本龍馬」が消えるかもしれない――。昨年11月に歴史教育の専門家らが示した用語の精選案について、「声」欄に賛否の意見が多数寄せられました。史料を基に龍馬や吉田松陰らの実像に迫った「司馬遼太郎が描かなかった幕末」の著者、一坂太郎・萩博物館特別学芸員はこれをどう見るか、話を伺いました。

――龍馬は教科書に必要だ、という意見が多かったです。

 今の教科書で龍馬がどう書かれているかというと、徳川慶喜が朝廷に政権を返還する「大政奉還」のところで出てきます。龍馬と土佐藩重役の後藤象二郎が、藩主を通して将軍慶喜に大政奉還を勧めたと。しかし、ここに龍馬を入れるのは正しくない。龍馬が大政奉還を唱えたという根拠になっていた文書「船中八策」は、後世に創作されたとの説が有力です。龍馬が提唱したことを示す証拠は出ていません。龍馬は大政奉還が実現した後、新政府綱領八策という文書を書いていますが、当時の知識人たちが他に何人も言っている内容で、これも新政府に影響を及ぼしたという証言が見つかっていません。

――薩長同盟はどうですか。薩摩藩と長州藩が軍事同盟を結ぶ際に「龍馬らが仲介した」と教科書に出てきます。
 薩長の間で何らかの周旋をしたという史実はある。例えば、薩摩藩から頼まれて「幕府が2回目の長州征伐の命令を出しても薩摩は動かない」という文書を長州藩に届けている。しかし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に出てくる、彼の一喝で両者がいきなり手を結んだとか、そういう分かりやすいものではありません。


――長州が薩摩名義で武器を購入した史実は? 「竜馬がゆく」では龍馬が発案、仲介して両者の軍事同盟のきっかけをつくったと。
 発案は違います。長州の木戸孝允の回想録に「薩摩の名義で武器を買わせてくれと龍馬に言った」とある。木戸がお願いしますねと言ったと。龍馬はわかったと引き受けたが、何の返事もないので木戸がいらいらして、見切り発車みたいな形で伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)を長崎に送り込む。ここは史料で確認できる。伊藤、井上の木戸への報告の中にも、薩摩が合意したとはあるが、龍馬は出てきません。

――龍馬が仲介しているなら、名前が出てきてもよさそうですね。
 そうです。薩摩の要人が「ああ龍馬から聞いている」というような話にならないとおかしいのに、初めて聞くような言いぶりなのです。龍馬が仲介していたという史料は出てこない。

 先ほどの、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸がそっぽを向いていたのを龍馬が飛び込んできて手を結ばせたという話は、「維新土佐勤王史」という大正元年に出た本に出てきます。物語半分、史料半分みたいな本ですが、明治政府で窓際に置かれていた土佐閥が、維新の時に俺たちはこんなに頑張ったのに、ないがしろにするのは何事かとアピールするために書いた側面が強い。その意味でこのエピソードは都合がいいのですが、史料を読む限り、物語のような展開で歴史が動いたとは考えがたい。維新直後に出版された志士100人列伝のような本に、龍馬は出てこない。当時は幕末の志士として誰も龍馬を思い出さなかったのです。


――龍馬の功績は、判然としていないと。


https://www.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html



(出典 i.gzn.jp)

ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している


NO.9271993 2021/02/21 15:05
ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している
ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ 実は日本の「トイレ」の歴史と関係している
世界中の子供たちに長く愛読されている漫画『ドラえもん』。

漫画の中では、たびたび原っぱで遊ぶ、のび太やドラえもんの姿が描写されています。

その原っぱには「土管」が置かれていますが、実は日本のトイレの歴史と深い関わりがあります。

ジャーナリストの神舘和典氏と文藝春秋の前副社長で編集者の西川清史氏が、あらゆる疑問を徹底取材したルポ、『うんちの行方』から抜粋・再構成して紹介します。

戦後、下水・汚水処理場が次々とでき、砂町汚水処分場のような屎尿(しにょう)を処理する設備も整った。

それでも、高度経済成長期の東京の人口は増え続け、当然排泄も増え続ける。

汲み取りトイレもまだ多く、砂町汚水処分場だけでは処理できない量だった。


いまでこそ日本の水洗トイレ率(汚水処理人口普及率)は91.7%、東京は99.8%。

しかし、1970年代は東京23区内ですら、鼻をつまみたくなるようなにおいが充満する汲み取りトイレの家庭は多かった。

練馬区でボットン便所が長く続いた理由またしても私事で恐縮だが、筆者(神舘)が生まれ育った東京・練馬区の石神井の家はボットン便所だったし、杉並区の阿佐谷にある公立高校に進学したら、そこもボットン便所だった。

家でもボットン。

学校でもボットン。


入学式の日にとても悲しい気持ちになった。

高校について厳密にいうと、母屋というべき鉄筋コンクリートの校舎は水洗トイレ。

ところが、1年生にあてがわれていた教室は木造2階建ての離れで、そちらはボットンだったのだ。

練馬区あたりでなぜボットンが長く続いていたのか――。

その理由の..

【日時】2021年02月20日 17:00
【ソース】東洋経済オンライン
【関連掲示板】




(出典 pds.exblog.jp)


【歴史】「徳川家康は辛抱強い性格だった」は後世の創作の可能性

1 ボラえもん ★ :2021/02/16(火) 15:22:15.79

 先日、映画『ブレイブ ―群青戦記―』のヒット祈願イベントが行われ、出演する渡邊圭祐さんが自身の性格をじっくり待つ徳川家康タイプと分析していた。
実際に、家康は辛抱強い性格だったのか、考えることにしよう。


■天下人の性格
 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康については、その性格を言い表した有名な狂句がある。次に示しておこう。

織田信長「鳴かぬなら *てしまえ ホトトギス」

豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」

徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」

 信長は気性が激しく短気なので、鳴かないホトトギスを*と命じた。秀吉は知恵者なので、鳴かないホトトギスを鳴かせようと工夫した。
家康は若い頃からの苦労人で辛抱強かったので、鳴かないホトトギスを鳴くまで待ったのである。それぞれの性格をあらわしていて興味深い。


 この3つの狂句は、第9代平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』に書かれたものである。
『甲子夜話』は文政4年(1821)から書かれ、静山が亡くなる天保12年(1841)に完成した。正編100巻、続編100巻、第3編78巻に及ぶ浩瀚な著作である。


 この3句は「詠み人知らず」となっており、いつ誰が詠んだのかは不明である。
3人の天下人の性格が実際にこの狂句のとおりなのか不明であるが、江戸時代末期にはすでに定着していた可能性がある。
では、なぜ家康は辛抱強い性格になってしまったのだろうか。もう少し考えてみよう。

■苦労人だった家康
 天文11年(1542)、徳川家康は松平広忠の嫡男として誕生した。
松平氏は三河を領していたが、その威勢は弱体化しており、駿河今川氏に従属していた。幼かった家康は、今川氏の人質になっていたほどだ。


 永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、家康は信長の配下に加わった。
天正10年(1582)に信長が本能寺の変で横*ると、家康は羽柴(豊臣)秀吉に従った。

 慶長3年(1598)に秀吉が病没し、その2年後の関ヶ原合戦で家康は西軍に勝利したが、
家康の完全な天下取りは慶長20年(1615)の大坂夏の陣における豊臣氏の滅亡を待たねばならなかった。


 つまり、家康は信長と秀吉という2人の天下人に仕え、なかなかチャンスに恵まれず、辛抱強く待たねばならなかったということになろう。
その事実が先の狂句に反映されたようだ。


 また、江戸時代には「織田が搗き 羽柴が捏ねし天下餅 座りしままに食うは徳川」なる狂歌も広まった。
これは家康が辛抱強いというよりも、棚からぼた餅で天下を取ったことを揶揄したものである。

■有名な家康の遺訓
 ほかにも、家康が辛抱強いとされた根拠としては、以下に示す家康の有名な遺訓がある。

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり。


 しかし、この家康の遺訓とされるものは、後世の偽作であると指摘されている。
明治になって、幕臣の池田松之介が『人のいましめ』(伝徳川光圀作)をもとにして、創作したものにすぎない。家康の花押まで似せていたのだから、手の込んだ偽造である。

 この偽作を「幕末の三舟」の1人である高橋泥舟(ほかは勝海舟、山岡鉄舟)らが日光東照宮(栃木県日光市)をはじめ、各地の東照宮に奉納した。
これにより爆発的に世間に広まったのだ。

 つまり、家康が辛抱強かったというのは、江戸時代に広まった伝承や偽作のようなものが根拠にすぎず、実際はどうだったのかよくわからないのである。
家康が辛抱強い性格だったというのは、今後の検討を要しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210216-00222815/




(出典 www.tokai-tv.com)
[解説] 地球温暖化しているのに、なんで大雪・暴風雪になるの?


1 みつを ★ :2021/01/12(火) 21:11:46.20

https://www.greenpeace.org/japan/sustainable/story/2021/01/08/49814/

[解説] 地球温暖化しているのに、なんで大雪・暴風雪になるの?
パブリックエンゲージメント 林 2021-01-08

大雪のために高速道路の車が長時間にわたって立ち往生したり、大雪や暴風雪への警報が出されたり、雪かき中の死亡事故が頻発したり…。この冬は、これまで以上に豪雪が私たちの暮らしを脅かしています。しかし、疑問に思った方もいるのではないでしょうか?「地球が温暖化しているなら、雪は減るんじゃないの?」実は専門家は、地球温暖化によって、逆に冬の間の大雪被害が増える可能性を指摘しています。そのメカニズムとは?そして、温暖化による気象災害から私たちの暮らしを守るために、今できることは?


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(出典 president.ismcdn.jp)
スタバのコーヒー不味すぎワロタ なんでまずいのに繁盛してるの?

1 緊急地震速報 ★ :2021/01/10(日) 21:36:52.86

スタバのコーヒーが"まずい"理由③
スタバのコーヒーが"まずい"理由③は、「豆の焙煎が深い」から。

スタバは、シアトル系コーヒーと呼ばれる風潮。
シアトル系コーヒーは、深煎りなことが特徴なんですよね。

焙煎は深くなればなるほど、黒く苦くなります。
逆に浅くなればなるほど、茶色く酸っぱくなります。

浅煎りの代表がブルーボトルコーヒー。
深煎りの代表がスターバックスのイメージ。

スタバは、結構な深煎りなので、どれも苦めにできています。
人によって好き好きがあるので、苦いのが好きな人にはいいんでしょう。

しかし、ここに①、②の話しが絡んでくると事情が変わります。

というのも豆の品質や選別がダメでも味を一律にする方法があるからです。

それが、『焙煎を深く』すること。
焙煎を深くすると、味が一律で苦い味わいになり良い豆も悪い豆も差がなくなっていきます。

これを厚化粧をするってよくいいますね。
化粧を厚くするほど、もとの素顔の差がなくなっていきますから。

コーヒー豆も焙煎を深くするほど、厚化粧になっていくというわけです。
よくもわるくも差が分からなくなります。

これは、スタバだけでなく他の大手チェーン店や缶コーヒーでも一緒ですけどね。
https://note.com/shimaken_style/n/ndef63c3f3966


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