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【芸能】橋本聖子 「セクハラ問題」を起こした背景に、“ガマンを重ねすぎた青春時代” 

2 爆笑ゴリラ


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高橋大輔は“初恋の人に似ている”
 むろん、社会人になった後もストイックぶりは変わらない。32歳まで続けた現役アスリート時代は富士急行に勤めながら、1日6時間を練習に費やした。むろん、恋愛などしている暇はない。

《就寝はだいたい21時を心がけていましたから、飲み会に行っても一次会で帰ってたんですよね(笑)。だから選手時代は恋愛とはまったく無縁でしたね。なかには交際している選手もいましたけれど、「恋にトキめいている姿なんか、私に似合うはずないじゃない…」、そんなふうに自分で決めつけていたところがあったのかもしれない」》(『SAY』2003年3月)

 自制がきいて、酒に飲まれず、かつ奥手なこの子がまさか後に公衆の面前でパワハラキッスとは……。人は変わる。というか、緩むのか。

 そんなこんなで1998年に議員に当選、まもなく電撃婚を果たすと次はママに。選手であり、議員であり、妻であり、母であり……。何足のわらじを履くのだという話だが、もともとスポーツ以外は経験不足な点が多かったにも関わらず彼女の人生はとにかく目まぐるしい。子どもにも忙*れる日々が続いたという。

 そして、日本スケート連盟の会長になったのが2006年。ついに高橋大輔と出会う。『女性自身』には当時の高橋への傾倒っぷりをあらわす自民党関係者の証言が報じられた。

《女性議員の会合で、橋本議員は『大輔は、高校時代のときに憧れた初恋の先輩に似ているのよね』と、高橋選手が好みのタイプだと自ら告白していました。酔っ払っては会話のなかで「大ちゃんは」「大ちゃんは」と連呼し、うっとりしていたそうです》

──青春が遅れてやってきたのである。幼いころから自らに課してきた抑圧から解き放たれたそのとき、彼女の心はJKに戻ってしまったのかもしれない。そのファンぶりは相当なもので、他の選手そっちのけで「大ちゃんの演技だけはちゃんと見なきゃ!」状態だったそう。長らくストイックに生きてきた彼女がようやく見つけた心のオアシス。それが大輔。

 “会いに行けるアイドル”の追っかけをやる分にはまだいい、問題は当時の橋本がプロデューサー的、つまり秋元康の立場であったことだ。“アイドルにお熱な秋元康”……これはまずいだろう。乙女の心、そして欲望を実現できる権力とが兼ね備わった結果、セクハラ大臣が爆誕したのである。

 現在もセクハラ・パワハラの“余罪”はところどころで報じられているが、2014年までこの実態が表面化しなかったのはなぜか。それは「職務もしっかりこなす」一面も併せもっていたからだと思われる。

 2010年、スノーボードの國母和宏が選手団の正装を着ながらワイシャツを外に出し、腰パン状態だったのを記者に問われ「ちっうっせーな」「反省してま~す」とかましたのはバンクーバー五輪のこと。スキー連盟から出場辞退を申し入れられた彼を指導し、改心させたのが選手団団長の橋本だった。のちのインタビューでその時の心境を《学校で悪さをした子どもを引き取りにいく心境ですよ》と回想し、愛ある説教は《まさに息子に怒っている感じ》だったと熱弁してみせる(『週刊文春』2010年6月24日号)。

 それから4年後。高橋大輔への泥酔キスを「なぜしてしまったのか」について、周囲にこう言い訳をしていたと『文春』が伝えている。

《息子に、ママのところに来なさい、という思い。最初は嫌がっていたが、その後はそんなことなかった》(2014年8月28日号)

 女性であることに頼り、ママを言い訳に使う時点で、ジェンダーレスがうたわれる世界基準からは程遠い。今回のオリンピック、マスコミが注視すべきは閉会後の打ち上げである。

〈皿乃まる美・コラムニスト〉